こんにちは、おふと申します。
このブログは「ヴィッセル神戸」の魅力を発信していきたいという、いちファンが勝手にクラブの魅力を綴っていきます。
「ヴィッセル神戸」の特別な背番号を知ってますか?
プロスポーツのチームなら、どのチームにも特別な意味を持つ背番号があるものです。
日本のスポーツにおいては
が有名ですが、ヴィッセル神戸にも特別な背番号が存在します。
その背番号は「13」。
サッカーにおける「13」が特別視されるチームはドイツ代表です。
1960年代から70年代にかけて数々のタイトルを獲得した「爆撃機」FWゲルト・ミュラーが背負っていたのがドイツ代表の「13」。
ドイツ代表の栄光の背番号です。
背番号「13」永島昭浩選手
ヴィッセル神戸には、クラブ創設当初からJ1昇格にもっともクラブに貢献したエースストライカーがいました。
1993年に日本人で初めてのハットトリックを達成し、94年のJリーグオールスター2年連続ゴールでMVP。Jリーグの強豪チーム「清水エスパルス」に在籍していた選手が、当時JFLでJリーグ準会員だった「ヴィッセル神戸」に移籍しました。
神戸市出身で「神戸を勇気づけたい」と漢気をみせたその選手は「ヴィッセル神戸」が96年にJリーグ昇格した後から「ミスター神戸」とサポーターから敬称されました。
そう、背番号13の「永島昭浩」選手です。
Jリーグ昇格後は、97年後期12節のジェフユナイテッド市原戦で自身2度目のハットトリック。その年は22ゴールを決めて、得点ランキング3位。(得点王はガンバ大阪のパトリック・エムボマで25点)
弱小クラブだったヴィッセル神戸において、抜群の成績を残しました。
「永島昭浩」選手こそ、ヴィッセル神戸の創設期からの特別な背番号「13」のきっかけの選手です。
背番号「13」 播戸竜二選手
この時期のヴィッセル神戸は「三浦知良」選手を中心とした川勝良一監督のチームでした。「城彰二」選手・「平野孝」選手・「望月重良」選手など元日本代表を揃えたチームでした。
前評判は高かったのですが、シーズンはとても残念な結果になります。
クラブは最終節までJ1残留争いを争う事になります。
その最終節「清水エスパルス」は神戸ユニバーに過去最高の25,837人が詰めかけたゲームで「播戸竜二選手」は2ゴールを決め、クラブをJ1残留に導きました。
2004年にはJ1で17ゴールを決めて、得点ランキング3位。
ヴィッセル神戸の「13」がエースストライカーの背番号だと決定づけた選手でした。
背番号「13」 大久保嘉人選手
移籍金3億円の男。
世間的には「大久保嘉人」選手と言えば、ストライカーのイメージが強いと思います。
でも、「ヴィッセル神戸」における「大久保嘉人」選手は中盤から前線まで全てのポジションをハイパフォーマンスでできる選手でした。
一時はチーム事情の為に左ウイングバックでプレーしていました。
後に「川崎フロンターレ」で得点を量産するのですが、「ヴィッセル神戸」では純粋なFWではなかったので彼には申し訳なかったと今でも思っています。
でも、いろいろなポジションをこなし、キャプテンとして精神面・技術面でクラブを牽引してくれた姿勢はヴィッセル神戸の背番号「13」に相応しい振舞いでした。
今では他のクラブでがんばっている彼を僕は応援しています。
現在も背番号「13」はサポーターにとって、特別な番号です
2012年から背番号「13」はユースからの生え抜きである「小川慶治朗」選手がつけてます。
ヴィッセル神戸では初めて2種登録選手としてトップチームに登録されたサポータにとっては特別に思い入れのある選手です。
これからの彼の活躍を期待しているので、ここでの彼の紹介はここまでにします。
ヴィッセル神戸の背番号「13」にふさわしい選手になるポテンシャルは充分なので、あとは結果を出すだけです。
ヴィッセル神戸の事を知ってもらいたいと思い、クラブが特別だと考えている背番号「13」のお話を紹介させてもらいました。
ヴィッセル神戸の「13」を背負っている選手をチェックすることも、クラブが誰に期待しているかを知るチェック項目だと思います。
ちょっとした豆知識として覚えておいてもらえたら、幸いです。